東北での被災地実習を通して


はじめまして、講師の須賀望(すがのぞむ)です。今回お話しするのは、34日から7日まで行った東北大学卒後研修センターが主催する宮城県での被災地医療体験実習についてです。少し長文ですが現在の被災地の現状を一つでも多く伝えたいという思いが詰まっているので、最後までご覧いただけると幸いです。

初日は南三陸の被災地域見学を行いました。ここでは南三陸ホテル観洋のスタッフの語り部さんと共に、津波により被害を受けた場所を見学しました。みなさんがご存知の通り、岩手から宮城県にかけてリアス式海岸の地形のため津波の被害は凄まじいものでした。ここでは津波が22.6mまで到達しました。これにより建物は中心部の80%、全体の62%が流失しました。語り部さんにその当時の写真を見せていただきましたが、その土地の全てが元々何も無かったかのように失われていました。語り部さん自体も被災しており、その口から語られる当時の状況はとても重みがあるものでした。

2日目は気仙沼市にある気仙沼市立本吉病院において医療体験実習を行いました。この本吉病院は、周りを山に囲まれており海からは離れています。病院の近くを通る津谷川から海から津波が遡上して、1階が全壊するほどの大ダメージを与えました。ここでは1階が全壊しながら2階を救護所として稼働して、本吉地区の半分の人の死(n73)を看取りました。この働きはNHKスペシャルでも放送されていますので、是非皆様もチェックして下さい。病院の院長である斎藤先生によると、まだ復興が進んでいないというのが今の課題だそうです。まずはスタッフ不足。元々東北地方は医療関係者が不足しています。東日本大震災によりその数は減少し、一時期復興活動によりその数を伸ばしましたが、また減少傾向に転じているそうです。2つ目は精神的な問題がまだ尾を引いているということ。先程も申し上げた通り、本吉地区の半分の人が亡くなっています。つまり殆どの人がその身寄りを亡くしています。病院のスタッフの方も、夫など近親の方を亡くしながらも奮闘していたそうです。その当時のニュースを観ると、思わず涙が今でも流れてしまうそうです。今になっても遺体が見つからない事も多く、まだどこかで生き延びているのでは と諦め切れない方々も多いそうです。3つ目は生活環境変化による疾病。現在は復興住宅が多く建てられていますが、今でも仮設住宅で過ごされている方も多いです。津波が起こる前と生活環境が一変したことにより新たな病気に罹る高齢者が多いそうです。

34日目は石巻赤十字病院で医療体験実習、また被災地コーディネーターの石井正先生による講演をお聴きしました。ニュースで連日報道されていましたので、災害の中核病院で活躍した石巻赤十字病院の働きは見たことがあると思います。ここでは震災が起こる前から災害医療コーディネーターの石井正先生の元、宮城県沖地震の想定があったため災害対策体制を整えていました。そのためマニュアルに沿って自分が何をするか頭に叩き込んでいるスタッフは実際に地震が起こっても冷静に対処出来ていたそうです。想定外の事が起きても、普段から自分の役割を理解していれば確実に対処出来るということを学ばさせていただきました。石巻赤十字に関しては、「石巻災害医療の全記録」が講談社から絶賛販売中ですので詳しくはそちらで学んで下さい。余談ですが、石井先生に本の印税が入るまでもう少し売れる必要があるそうなので、貢献して下さい()

この4日間で学んだことはとても多くまだまだ書き切れませんが、大きく言えば「復興はまだ進んでいない」ということを押さえておいてもらいたいです。初日に訪れた南三陸ホテル観洋では、震災直後から毎日更新し続けているブログがあります。情報発信 まずは知っていただく事が大事だと思いますので、一度訪れてみて下さい。またお笑い芸人のサンドウイッチマンさんも震災に区切りなんてない と、震災を風化させてはならない と、支援を続けていらっしゃいます(河北新報より)。自分も今回経験した事を語り部さんのように伝えて行きたいと思いますので、より詳しい話を聞きたい時にはお気軽に自分に相談して下さい。長文失礼しました。須賀望でした。