受験勉強の意味ってなに?


こんにちは。学生講師の中川原千咲です。

現在は東京大学農学部の四年生で、微生物学を扱う研究室に所属しています。
大学院へ進学する予定ではありますが、周りの人たちはすでに社会に出ていたり、就職先が決まったりしていて、私自身もそろそろ自分の将来について真剣に考えなくちゃいけないなあという気持ちが強くなってきました。
私は、自分が将来どんなことをしたいのか、どんな職業に就きたいのか、まだはっきりとした意思がありません。
大学の進路相談室を訪ねてみたこともあります。
どんなことに興味がありますか。どんなことをしたいですか。何をしているときが楽しいですか。
と尋ねられたときに、うまく答えられない自分がいました。
このような人間なので、早いうちから将来やりたいことに対する意思がしっかり固まっていて、それに向けて勉強をしているという人はとても素敵だと思います。
しかし、私のように、将来やりたいことがはっきりしているわけではないけれども何となく受験のために勉強を頑張っている、という人も多いのではないでしょうか。
さて、皆さんは新聞の人生相談のコラムを読んだことがありますか?
私はあのコラムを読むのが好きです。いつも、ああこんな考えを持っている人がいるのかとか、こんな悩みを抱える人もいるのかとか、また回答者の文章を読んでは、なるほどこんな考え方もあるのかと感動しながら読んでおります。
先日、「なんで受験勉強をしないといけないのですか」という高校一年生の女の子からの相談がありました。
「受験勉強より、人と話し、芸術に触れ、旅でもしたほうが、感情豊かで深みのある人間になれると思います。政治家の悪いニュースをよく見ますが、たとえ東大を出ても常識がなければ、人に尽くせる人間にはなれないと思います。
なんで受験勉強をしないといけないのですか。」
実際に私がその質問をされたら、私は上手に答えられる自信がないなあと思いながら読み進めました。私は、ただ受験はしなくてはいけないもの、とにかく頑張っておけば将来なにかいいことがあるはずなのだ、と、ただそれだけを思って受験勉強をしていたような気がしてきてしまったのです。
そして結局、この時期になってから、「自分はいったい何がしたいのか、すべきなのかという問い」と向き合う時がやってきました。
この相談者の女の子には、その「問い」に向き合う時が私よりもずっと早く訪れたのです。
この相談には、鷲田清一さんという哲学者の方が回答していました。
回答にはこう書いてありました。
「受験勉強は手段です。でも勉強はもっと大きなものです。自分が歴史のどういう段階にいるのか、世界情勢、社会情勢のどのような位置にいるのか、それを探り、そして何をすべきか、何ができるかを知るために、つまるところ自分がいま立っている場所を知るために、先達の探求から学ぶというのが、勉強する理由だとわたしは思います。
いま、あなたはその問いに向き合っている。大事な時間です。」
受験勉強をする意味について悩み始めた皆さん、この回答を読んでどう思いますか。